3月中旬、八ヶ岳の山麓の草原(標高1300m)を歩いていて、思いがけないものを見つけました。
落ちていたのは鹿のツノ。しかも一本ではなく、左右そろった対の状態です。

山を歩いていると、鹿の足跡や糞はよく見かけますが、ツノそのものを見つける機会はそれほど多くありません。ましてや左右そろったツノとなると、少し珍しい出来事です。
普段から登山ガイドとしてシカの解説をしていますが、
今回見つけたこの対の鹿角をきっかけに、ガイドネタを増やそうと少し調べてみました。
草原で見つけた鹿のツノ
今回ツノを見つけたのは、まだ草が短い早春の草原でした。
冬が終わりかけたこの季節は、落ちているものが見つけやすい時期です。夏になると草が伸びてしまい、こうしたものはすぐに見えなくなってしまいます。
ツノはしっかりとした重さがあり、枝分かれした形も立派でした。そして何より印象的だったのは、左右そろって落ちていたことです。
鹿のツノは多くの場合、片方ずつ落ちます。そのため山で見つかるのも一本だけということが多いです。
今回のように対で見つかるのは、個人的にもとても嬉しく、驚いています。
鹿のツノは毎年生え変わる
ガイドをしていて意外と知らない方が多いのですが、鹿のツノは一生同じものではありません。
実は毎年落ちて、新しいツノが生えてくるのです。
日本の山に多く生息している
ニホンジカ
毎年、このサイクルが繰り返されています。
一般的な流れは次のようになります。
春:新しいツノが伸び始める
夏:ツノが急速に成長
秋:ツノが完成し、繁殖期を迎える
冬:繁殖期が終わるとツノが落ちる
このツノが落ちる現象は「落角」と呼ばれています。
ツノは哺乳類で最も速く成長する骨
鹿のツノは自然界でもかなり不思議な存在のようです。
今回初めて知りましたが、
ツノは哺乳類の体の中で最も速く成長する骨のひとつと考えられているそそうです。
海外の研究では、北米のエルクやヨーロッパのアカシカなど大型のシカで、1日に1〜2cm以上伸びる成長速度が報告されています。
(参考文献あり)
これは哺乳類の骨としては非常に速い成長です。
ただしこの研究は主に海外の大型シカを対象にしたものです。
日本のニホンジカはそれらより体が小さいため、成長速度はやや遅いと考えられていますが、それでも数か月で立派な角が完成するほど急速に成長する骨です。
ツノは最初「袋角」の状態
ツノは最初から硬い骨ではありません。
成長途中のツノは「袋角(ふくろづの)」と呼ばれ、血管の通った皮膚に覆われています。表面はビロードのような質感で、英語では「ベルベット」と呼ばれています。
この皮膚を通して血液が栄養を運び、ツノは急速に成長していきます。
夏の終わり頃になるとツノは完全に骨になり、表面の皮が剥がれて硬いツノになります。
なぜツノは落ちるのか
秋の繁殖期が終わると、ツノの役割も終わります。
冬になるとホルモンの変化によってツノの根元の骨が弱くなり、ある日自然に外れて落ちます。
落ちる瞬間は意外とあっさりしていて、歩いている途中や木に当たった拍子に、ぽろっと外れることが多いと言われています。
そして春になると、また新しいツノが伸び始めます。
鹿のツノを見つけやすい季節
鹿のツノは一年中落ちているわけではありません。
ニホンジカの場合、ツノは冬の終わりから春にかけて落ちることが知られています。
そのため山でツノを見つけやすいのは
早春から春
です。
この時期は
- 落角したばかりのツノが残っている
- 草がまだ低い
という条件がそろうため、見つけやすくなります。
夏になると草や笹に隠れてしまい、ツノを見つけるのはかなり難しくなります。
鹿のツノは再生医療研究の対象
鹿のツノは、医学の分野でも注目されているそうです
理由は、哺乳類で唯一、毎年完全に再生する骨だからです。
ツノは
落ちる
再生する
元の形まで成長する
というサイクルを毎年繰り返します。
この再生能力は非常に珍しく、鹿のツノは骨再生や組織再生の研究モデルとして研究されています。
ツノの先端には骨を作る細胞のもとになる幹細胞が集まっていると考えられており、再生医療への応用の可能性も研究されています。
・英語論文です。ブラウザの翻訳機能を使ってください。
Nature research: Antler stem cell regeneration
https://www.nature.com/articles/s41419-019-1686-y
落ちたツノが山に残らない理由
鹿のツノは毎年落ちるにもかかわらず、山で見つかる機会はそれほど多くありません。
その理由の一つが**骨食(こつしょく)**です。
骨食とは、動物が骨や角をかじる行動のことです。
これは主に
- カルシウム
- リン
- ミネラル
を補給するためだと考えられています。
ネズミやリスなどの小型哺乳類が、落ちたツノをかじる様子は世界各地で観察されています。
日本でも、ニホンジカなどの有蹄類が骨や角をかじる行動が報告されています。
そのため、落ちたツノは時間がたつと動物に削られ、少しずつ形がなくなっていきます。
山で綺麗なツノが見つかるのは、意外と運が良いことなのです。
山に残る鹿の痕跡
山を歩いていても、野生動物そのものを見る機会はそれほど多くありません。
しかし足元をよく見ると、さまざまな痕跡があります。
例えば
- 足跡
- 糞
- 樹皮の食べ跡
- ツノとぎ跡
- 落ちたツノ
こうした痕跡を見つけると、その場所で確かに鹿が生活していることを感じます。
今回のツノの持ち主も、きっとこの草原を歩き回っていたのでしょう。
今ごろはもう、新しいツノを伸ばし始めているのかもしれません。
八ヶ岳の山を歩いていると、鹿の足跡や食痕など、さまざまな動物の痕跡を見ることがあります。
春の山歩きでは、足元にもぜひ目を向けてみてください。
もしかすると、鹿のツノという自然からの贈り物に出会えるかもしれません。
参考文献
(英語論文も含まれますが、ブラウザの翻訳表示などで読むことができます)
- PMC: Deer antler regeneration research
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12747533/ - Nature research: Antler stem cell regeneration
https://www.nature.com/articles/s41419-019-1686-y - ニホンジカの落角
https://minamishinshu.jp/kikaku-other2/ニホンジカの落角 - ニホンジカ枝角成長研究
https://jglobal.jst.go.jp/public/202502210448656875 - ニホンジカ骨食行動研究
https://jglobal.jst.go.jp/public/202402264055597618

